TOMOKI TAKAKU×YOSHIRO HIGAI 1

雪の上のクリエイター
ヒガイヨシロウが切り撮る

  • 日本のフリーライディングを支えるもう一人のTT。






樋貝 スノーボードとはどんなふうに出会ったの?

高久 住んでた場所(湘南)の近くでは出来なかった
   ですら…、週末にスキー旅行に行くような
   楽しみの感覚でやり始めましたね。

樋貝 サーフィンやスケートボードはその前からやってたの?

高久 若干はしていたので、山でスケートボードの動きが
   出来ちゃうって感覚もありましたね。
   当時のスケートカルチャーをふくめて、
   (スノーボードは)新しく始まったという
   自由な印象がありましたよね。

樋貝 なるほど。ところで智基と初めて会ったのは90年頃の
   カナダのウィスラーだったと思うんだけど…

高久 僕は樋貝くんと89年頃のJPSTの戸隠の大会を
   観に行ったときに会ってるんですよ。

樋貝 えっ ほんとにー? 
   でも、その時って話してないよね。

高久 ええ

樋貝 初めて話しをしたのはウィスラーの
   snoboard shopでだよね。
   外人とつるんでる、
   なんか怪しいヤツがいるって印象で(笑)

高久 ええ(苦笑い)_HG_4665torimingmaru.png

樋貝 どうしてまたいきなりカナダに?

高久 高校3年の時にスノーボードを始めたんですけど、
   ちょうど同級生がバーフットの代理店の
   ドロップアウトというショップに勤めていて、
   そのつながりで来日したプロライダーの
   マイク・エステス、ジョン・ボイヤーたちと
   白馬で滑れて、カナダの話を聞いちゃって…

樋貝 カナダは面白いぞみたいな。_HG_4667trimomgumaru.png

高久 そうそう。
   なんかカナダってすごい冬なんだろうなって
   頭の中が一杯になって、高校卒業した年に
   サマーキャンプに行ったんですよね。

   当時はアルペンが全盛でハーフパイプも
   これからって時代でいろんなものが
   見たかったんですよ。
   翌年は通いで長野とか行って、
   JPSTとかローカルのイーグルカップに出たんです。
   実はイーグルカップが初めての
   大会だったんですよ。

樋貝 ハーフパイプ?

高久 そうハーフパイプ。名目上ハーフパイプ。_HG_4659trimingmaru.png

樋貝 バンクみたいな。

高久 そうすね。ヒットが何発かあるって感じの。

樋貝 うん。そんな感じだったもんね。_HG_4719trimomgmar.png

高久 そんで、そのとき2番で、
   これはハーフパイプ頑張ろうかなって
   思ってたんだけど… 

   その翌年、ガクちゃん(永田学Attention.png
   ニセコに誘ってくれて。

樋貝 えっ? ガクとはどんな感じで知り合ったの?

高久 樋貝君とも会った、初めてのサマーキャンプですよ。
   あれにガクちゃんもいて。

樋貝 いた! いたいた。眼鏡かけててね。

高久 そうそう。

樋貝 「ガクでーす」って(ハスキーボイスの声を真似する)

高久 そう!(笑い)
   あのときにガクちゃんともすごく仲良くなって。

樋貝 うん眼鏡だったね(意味不明)

高久 それで 「ニセコおいでよ」って言われたんすよ。

樋貝 ガクはもうニセコに行ってたんだね。

高久 ニセコ一年目です。_HG_4655trimimgmaru.png

樋貝 うん

高久 いいからニセコおいでよって。

樋貝 良いからね。

高久 ニセコに太朗くん(玉井太朗Attention.png)って人がいて
   家をシェアできるからって…

樋貝 それが93年?

高久 92かな

樋貝 92から93になるとき?

高久 そんな感じですね。

樋貝 オレもそのときニセコに初めて長く行ったんだよ。
   太朗君が樺山の家を借りた年だよね。

高久 当時ニセコはパイプもなかったじゃないですか、
   大会も遠くだし…それで今自分がやってるバックカントリーとか
   パウダーのスノーボードにシフトしていったというか…

樋貝 あそこに入ったら自然にそうなるもんね。

高久 当時は(ニセコひらふの)“アルペン”と“高原”でも
   違うぐらいの何かあったじゃないですか

   (注 “アルペン”スキー場と東急の“高原”とは別会社で、
      滑っている人間の雰囲気も大違いだった。)

樋貝 うん。

高久 『オレたち“アルペン”!』みたいな…

   (注 勿論アルペンスノーボードをやっていたとい
      意味ではありません)

樋貝 確かに!

高久 “スーパーコース“をどう滑るかみたいな。_HG_4659trimingmaru.png
   (手で滑るラインを描く)

樋貝 (頷く)

高久 自然地形の滑走みたいな、しかもパウダーにおける、
   みたいなものが始まったところだったし。
   なんてゆうか、衝撃ですよね。

樋貝 誰もやってなかったもんね。

高久 そうですね。
   やっぱりそれは玉井さん(玉井太朗)が選手として
   培ってきたことなどからスノーボードのポテンシャルを
   いろんなところからみて、ここだべって、やってね。
   でも太朗君もまだ、経験してないことじゃないですか。
   そのへんを僕やみんなで一緒に試行錯誤しながら
   開拓していったみたいな…

樋貝 なるほど。

高久 僕はパイオニアじゃなくて、太朗君や先輩たちが
   リーダーとして(ニセコに)いてくれたから、一滑り手として
   パウダーを滑ることに集中できたんじゃないですかね。

樋貝 (頷く)

高久 “アルペン“の“センター4“の面白いところは、
   狭いエリアにそれを求めてる連中がみんな集まって
   たってことですよね。
   アピールし合えるというか…

樋貝 うん。見られてたよね。_HG_4719trimomgmar.png

高久 見られていて、みんなのことも見れた。

樋貝 “尾根”からドロップするところなんかステージだよね。

高久 「オッシャー」って あの“大岩”の横でリフトのほう
    チラっと見たぐらいにしてね。

樋貝 あのコンディションであそこまいける。
   「あいつ上達したな。」みたいな。

高久 そうそうそう!_HG_4655trimimgmaru.png

樋貝 スキーヤーともチェックし合ってたよね。

高久 それから自分たちの時間帯だけじゃなくて自然の
   絶対的な時間帯ってあるじゃないですか。
   パウダーとかバックカントリーって。

樋貝 そうだね。_HG_4719trimomgmar.png

高久 そこに合わせるって前提の上でみんなやってた
   じゃないですか。そこもまたよかったですよね。

樋貝 ちょっと前の時間は良かったんだけど、
   すこしずらしただけでとんでもない
   コンディションになってたりね。

   かなり酷いときに滑ったな…

高久 (頷く)

樋貝 でもそんなこともふくめて山で滑る、
   いい経験になってるのかもしれないしね。

高久 そうですね。
   その積み重ねがバックカントリーを滑る上での
   第一歩ですよね。

樋貝 うん。_HG_4667trimomgumaru.png

高久 それから、第2期ぐらいのとき、
   「どこどこ行ったよ!」みたいな風潮が
   でてきたじゃないですか。

樋貝 えっ行ったって?

高久 ほら、だから「昨日羊蹄行ったよ」みたいな 
   ブランドっていうか…

樋貝 あー それは未だにあるよね。

高久 それで…_HG_4665torimingmaru.png

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高久
智基

Tomoki Takaku
身長168cm 体重61kg
1972年9月7日 
神奈川県藤沢市出身 
北海道ニセコ町在住

90年前半からエクストリーム&フリーライドの分野で活躍する日本を代表するフリーライドスノーボーダー。


モンゴル最高峰(4378m)の登頂滑降をはじめシベリア、アラスカなど海外ビックマウンテンでの滑走経験多数。特にアラスカ急斜面での撮影、氷河キャンプを行い数多くの映像を発表する。
国内では北海道ニセコを拠点とし、冬山ガイド集団「POWDER COMPANY GUIDE」を率い、ガイドとしても活躍。ツアーや滑走を通じ、ゲストのスキル向上を図るとともに、安全で楽しいスノーボードを提唱。また日本山岳ガイド協会認定山岳ガイドとして、滑走を目的としたガイドの確立をすべく広く活動を行う。
夏期には、スキー場のコース管理を取り組んでいる。

GENTEMSTICKより自身の
PROモデル「GT」と「FLOATER168」、
INDUSTYより「高久智基プロテクターパンツ」が販売されている。
株式会社パウダーカンパニー 代表取締役
日本山岳ガイド協会 
公認山岳ガイドNO.999
ニセコウィンターガイド協会 副会長


 パウダーカンパニーサイト

http://www.powcom.net/tomokitakaku

tomoki_takaku_trans2.jpg

トランスワールドスノーボーディングジャパン1995年1月号掲載